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戦前のJAPANツーリズム「美しい日本へようこそ」
戦前のJAPANツーリズム「美しい日本へようこそ」

1911年頃、シベリア鉄道との連絡により南満州鉄道が国際線化し、日本に外国人観光客が訪れるようになります。
1930年、鉄道省に国際観光局が創設され、観光ポスターやグラフ雑誌などを通じて、「美しい日本」をアピールし、外国人を積極的に誘致しました。1930年代中頃には、外国人観光客は4万人を超えたといいます。本展では、当時のポスターや貴重な資料を展示し、戦前のツーリズムを振り返ります。


戦前の外国人観光客の誘致政策

1930年、鉄道省の国際観光局により、国際親善、外貨獲得、国威発揚等のため、積極的な外国人観光客の誘致政策が講じられるようになりました。第二次世界大戦中の1942年までの約12年間という短い期間に、「大正の広重」と称された吉田初三郎の「ビューティフル・ジャパン」を始め、著名な作家により20数点のポスターが制作され、海外関係機関に配布されました。里見宗次の『オリエントコールズ』(1936年)や『ジャパン』(1937年)もこの政策の一環として制作されたポスターで、国際的にも評価の高い作品です。
同局はポスター以外にも、英文の季刊写真グラビア誌『トラベル・イン・ジャパン』や、日本の伝統文化、芸術、自然等の紹介誌『ツーリスト・ライブラリー』全40巻を発行しており、戦前にも外国人観光客誘致のために全力投球した時代があったことが判ります。
(執筆:中村 俊一朗)