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土門拳が撮った「藤田嗣治」
土門拳が撮った「藤田嗣治」

昭和8年(1933)にフランスから帰国した画家・藤田嗣治(1886-1968)は、昭和12年(1937)、東京市麹町区にアトリエを新築しましたが、空襲にて焼失し、昭和21年(1946)、練馬区小竹町に転居します。写真家・土門拳は、アトリエへの入室を許され、昭和16年(1941)頃から昭和24年(1949)にフランスへ旅立つまでの、日本における藤田を断続的に撮影しました。
本展では、藤田の姿ばかりでなく、制作過程や画材、日用品までをも写し出した貴重な記録をご覧いただきます。

土門拳   (1909~1990 )

明治42年(1909)、山形県飽海郡酒田町(現・酒田市)に生まれる。写真館の門下生を経て昭和10年(1935)、「報道写真」を掲げる名取洋之助主宰の「日本工房」に入社(~14年)、対外宣伝誌『NIPPON』を中心に海外へ日本を紹介する写真を撮影。以後、脳血栓で倒れる昭和54年まで激動の日本を記録。『風貌』『古寺巡礼』『文楽』など人物や日本の伝統美を追求する一方、被爆者の実態に迫る『ヒロシマ』、閉山に追い込まれた炭鉱の困窮を訴える写真集『筑豊のこどもたち』を発表。1950年代に街頭で群れ遊ぶこどもを集中的に撮影する。昭和56年、毎日新聞社が土門拳賞を創設。昭和58年、全作品を寄贈し、故郷の酒田市に日本初の写真美術館として土門拳記念館が開館。